233夜のクロス・マリアンの話をしよう
233夜で、自分を「キミ」「友」と呼ぶ神父を殺したAKUMAに<断罪者>突きつけた時のクロス・マリアンの話してもいい?
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オッケーするね。
233夜冒頭のクロス・マリアン、控えめに言って作品が違うというか『スーパーナチュラル』かお前は?ってなったんですけど、団服の襟に乗っかってもさもさしてる髪の毛がべらぼうに可愛いので全てOKです。ちなみに氷館はスーパーナチュラルをほとんど見たことが無いです。(兄弟の片方がcv.東地宏樹なのは知ってる)
団服の前身頃が解禁されて姐さん事件です、不良コーデとでも???ところで団服の襟のデザインが違うのはわざとなん??このクロス・マリアンは元帥なのか???
<断罪者>を撃つ時の表情、15巻第142夜と見比べてほしい。同じように目ぇかっぴらいてるんだけど、142夜の元帥は「楽しそうで何よりです」って気持ちになれます。15巻見て。
そもそも元帥を「キミ」、「友」と呼ぶ人物がいたのが意外なんだけど、この人が果たしてクロスの「友人」かと言うと微妙な気がする。友人に対して「キミ」は他人行儀に感じるし、「友よ」という言葉はセリフ回しも相まって「我が同士よ」という呼びかけに近いように思う。友≒同士≒14番目関係者かなーと。
「いや友人にも君って言うわバーーカ」って人がいると思うけど、私があまり「キミ」を使わない人間なので…。
ところで「35年前」って出てきたけどお前はホントに何歳だよ…206夜でパッと計算して40後半疑惑だったのが、どんどん年齢跳ね上がるじゃないか…。元帥4人の中で最年長確定じゃん…最年長なのに末っ子(不良)扱いされてんのかお前、ド可愛いなオイ。
さて、人生レベルで推してる推しの話をしよう。
自分を「キミ」「友」と呼ぶ神父を殺したAKUMAに<断罪者>を突きつけたクロス・マリアンの話をしよう。
神父という肩書を持つ彼が、初めて「神」に呼びかけた言葉の話をしよう。
今から聖書を引っ張るけど、私のIQは3だと思ってほしい。ミッション系の中高に通ったにもかかわらず、ゲッセマネの祈りと十字架上の言葉を混同したポンコツだ。なんなら直前まで「お前は暁美ほむらか」、「敵AKUMAのせいで画面がまどか☆マギカ」、「立ち位置は暁美ほむらだけど絵面的には巴マミ」、「嫁は魔法少女だった」とか妄言吐いてたただの腐女子だ。
ぶっちゃけ、推しの話に聖書を引っ張り出すオタクになってしまうことが大変遺憾。嫁や推しの神格化は、私のスタンスから一番遠い推し方なので…。推しは宗教ではないので…。母校でもらった聖書は実家なので、ネット上から情報を引っ張ってくるしかないのも非常に遺憾の意。
233夜でクロスマリアンが呟いた「あんたはいつだって無言だ」だけど、控えめに言って彼なりの「ゲッセマネの祈り」か「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」では?
正直ゲッセマネの祈りだなという結論が出てるのだけど、セリフを見て直感的に「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」じゃん…ってなってしまったので初心は残したかった(などと供述しておりry)。
ゲッセマネの祈りというのはイエス・キリストが十字架刑に処される前夜、最後の晩餐のあとにオリーブ山のふもとにあるゲッセマネの園で捧げた祈りのことだ。イスカリオテのユダに裏切られ捕えられた場所ともされる。
「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(主よ、主よ、何故私をお見捨てになったのですか) 」
イエス・キリストが磔刑に処された十字架上で語ったとされる言葉の一つ。聖書の日本語訳にも色々あるので、口語的・文語的とニュアンスも様々。「神よ、何故私をお見捨てになったのですか」は旧約聖書「詩篇」22の引用という見方がされており、引用元は神への賛美の歌。なので、イエスが「神に見捨てられた」と嘆いた言葉ではなく、むしろ「この身をあなた(神)に委ねます」という趣旨の言葉と解釈するものが多い。
「なぁ神よ 人の命よりも大事なのかね 使命ってのは…」
「あんたはいつだって無言だ」
直感的に「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」じゃんってなったのは、恐らく「あんたはいつだって無言だ」からだと思う。あんた(神)はいつも無言で、何も返してくれない。
この発言は「神に委ねる」表明とは言い難く、言葉通りの「何故見捨てるのか」というニュアンスが近い。
と、なるとゲッセマネの祈りだ。
イエス・キリストって捕まえられて十字架にかけられるの嫌だったんですよね。
ゲッセマネの園で神に捧げた祈りというのは、「できることなら(十字架の死という)杯を回避したい」と神の思し召しを求めたもの。平たく言ってしまえば「死にたくない」。 いくら周りから「神の子」「救い主」と言われても「ナザレ出身のイエス」だ。死ぬって分かってて死にたくないし、磔刑にされて手足に釘打ち付けられるんだからな(※本来釘で打ちつけたりしない)。
たとえそれが聖書をなぞるために必要な使命だとしても。三度祈った後、イエスは自分の運命を受け入れる。
おそらく協力者と見られる神父が殺された直後の呟きだ。そういう状況に出くわすのは初めてではないのだろう。その度に「私のことはいい、使命を全うしろ」と言われているのだろう。
人情が低いと何度も評されるが、リナリーの感情が自然に出るようになったと言い、アニタの死を悲しみ、アレンがマナみたいに話すようになったと指摘するような男だ。
AKUMAの魂が見えるようになって怖がる弟子に「あれは怖いものじゃない」「「助けて」と叫んでいるだけだ」と、(彼にしては)辛抱強く諭した男だ。
目的達成のための割り切りと感情の切り離しが異常に上手くなって立ち回れるが、ただ「ネアの復活に伴いアレンは消滅する」ことだけは割り切れなかった男だ。
面倒ごとや責任は嫌いなのに、面倒ごとの最たるものを抱え込まされてしまった男だ。
「14番目の宿主を探す」という「終わりがあるのかも分からない」使命のために、(イエスと違って自分がではなく)生贄にされる人々≒同士を思って「できることならこんな事したくない(こんな使命全うしたくない)」と嘆いているのか…。
こんなん繰り返して割り切り上手くなったの?まぁそうでしょうね…。
ゲッセマネの祈りですね。
きっとまだ自分の使命を受け入れてる途中だ。それでも聖書の表現を引っ張ると、壊したくて仕方がないティム・キャンピーとの目的と終わりが見えない道行は、まるでゴルゴダの丘までの道のりだ。「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」には、まだ辿りついていない。
クロス・マリアンは「時の破壊者(≒Dグレという作品内の救い主)」でも何でもない、巻き込まれた系価値観一般人だ。一聖職者として神に問いかけただけなのだろう。
聖職者の言葉に聖書引用するのは何もおかしくないね??なら良し。(何が)
まぁ、だから私は推してるんですけどね?
ちなみに
「エリ・エリ…」的な(嘆きっぽいけど解釈としてはあなたに委ねるという趣旨の)発言どっかにあるかなって考えたら、222夜の「だったら歩け ひとりで」「馬鹿弟子め」からの「できるなら今ここで お前には消えてもらいたかったよ…」だな?ってなって盛大に自爆しました。